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薪の機関車 [アスンシオン点描]

以前、TV朝日系列の番組『世界の車窓から』で放送されたこともあるそうですが、パラグアイには南米で最も古い時期に開通した、蒸気機関車の鉄道があります。最初の500ヤード(約455m)分の線路が完成したのが1857年、操業開始は1861年10月で、もちろんイギリス人やドイツ人の技師たちによって築かれたとはいえ、1830年代に蒸気機関車の運行がスタートしたアメリカから遅れることたったの30年、日本では鎖国政策が終焉を迎えた開国直後の時代に当たるわけですから、当時のアスンシオンが大変近代化の進んだ街だったことが分かります。かつては、首都アスンシオンからパラグアイ南部の都市エンカルナシオンまでの区間約350kmを、丸一日かけて走る旅客列車が運行しており、また、そこからさらに遠く離れたアルゼンチンはブエノスアイレスまで貨物列車が定期的に走っていた時代もあったのだとか。しかし、脱線事故を機に運行が中止され、機関車も線路も、その後使用されることなく放置されていたのだそうです。なお、蒸気機関車はふつう石炭で走るものですが、パラグアイのこの機関車は、何と薪を燃料にして走っていました。

その後、この薪で走る蒸気機関車を、パラグアイの新しい観光資源にしようという案が出たのでしょうか、機関車や線路の修理・整備が行われたのち、ついに2004年、一部区間で観光列車の運行がスタートしました。本来の始発駅は、首都アスンシオンのセントロ(市の中心部)にありますが、こちらは現在駅として機能しておらず、セントロから7kmほど北東にある「植物園駅」が、この観光列車の乗り場となっています。なお、1861年の操業当時、運行はセントロからここ植物園駅までの区間のみで、その後徐々に線路が延伸されていったのだそうです。

今から1年以上前に当たる昨年3月、この汽車に乗るため、朝早くバスで植物園駅へ行ったことがありました。チケットを買い、他の乗客たちと一緒に乗車開始を待っていたところ、係の女性が乗客を集めて何か話し始めたのです。スペイン語なので私は全然分からないのですが、それを聞いていたダンナがぽつりと一言、「なんだか、あんまりいい話じゃないみたい」。なんでも運転手が来ないため、今日はやむをえず運休になったとのこと。「そんなのアリ?」と思ったものの、汽車が走らないことにはどうしようもなく、泣く泣くまたホテルへ取って返すハメになったのでした。長いこと待たされた乗客たちが、ひとことの文句も言わず、大人しく帰っていく様子から、こういった運休も毎度のことなのかもしれないと想像したのを覚えています。

 

「運行は中止だけれど、客車に入ってみる分には構わない」と言われたので、せっかくですから中だけでも見せてもらうことに。右上の写真は、そのとき撮った客車の様子。床は古風な板張りで、さすがに相当古いのですが、意外と居心地の良さそうな感じが漂っていて、良く言えば大変味があります。機関車には、この客車が2両連結されていました。


上の写真が、昨年3月に購入した硬券のチケット。「パラグアイ鉄道会社  ボタニコ(植物園)からアレグア行き  普通車」と印字されています。“TREN DEL LAGO”は、英語に直すと“TRAIN OF THE LAKE”。目的地のアレグアが、避暑地として知られるイパカライ湖に程近いことから、この名がつけられたのではないでしょうか。なお、乗車料金はパラグアイ国民の場合30000Gs(約750円)、外国人だと20ドル(約2400円)になるようです。

それから1年以上が過ぎた今日、再び植物園駅を訪れてみたところ、以前は毎週日曜日だった運行が月2回のみに改められ、祝祭日などにからめたイベント列車となっていました。今日は独立記念日と母の日(いずれも5/15)を記念した観光列車で、7月には子供向けに「インディ・ジョーンズ列車」、また12月には「ポーラー・エクスプレス列車」などが予定されているそうです。植物園駅から約1時間半かけて35km離れたアレグアという町へ行き、現地で3時間以上滞在したのち、またこの植物園駅に帰ってくるというスケジュールで、出発から帰着・解散まで約6時間半を要する長旅?です。列車内ではパラグアイの民族音楽の演奏や手品ショーが行われ、途中軽食や飲み物のサービスなどもあるそうですが、私は帰国の日程が近く、他に行っておきたい所がたくさんあったので、今日は発車の様子だけ見て帰ることにしました。


こちらが、発車間近の機関車の様子。パラグアイの鉄道黄金時代を思い起こさせる見事な勇姿ですが、貨車に積まれた燃料が石炭ではなく薪というのが、何となく滑稽で笑いを誘います。「薪が燃料だなんて、果たしてどんなものか」とタカをくくっていたものの、走り始めたら意外と速く、もうもうと蒸気を上げながら、あっという間に目の前を駆け抜けていきました。しかし、植物園駅からアレグア駅まで約35kmの道のりを1時間半かけて走るわけですから、時速にするとおよそ25km。自動車に余裕で追い越される速さですね。どうも速いのは最初だけで、それから先は保線の状況が良くないことから安全のため、あまりスピードを出さないようにしているのではないかと思われます。

 

 
写真左上は、セントロに残る始発駅の廃屋。鉄道は単線ですが、表示ではホーム(ANDEN)は2つあるようです。この駅舎の建設工事は、1861年2月に開始されたそうですから(完成は1864年)、同年10月の操業当時にはまだ建設途中だったことになります。相当ガタがきているものの、建物自体は大変立派で、これを見ると「パラグアイにも古き良き時代があったのだな」と思わされます。写真右上は、最近オープンしたらしい、この駅舎の建物を利用した博物館(鉄道博物館?)。外から写真を撮っただけで入館しなかったため、中の様子は不明ですが、左の窓口が券売所跡のようで、「一等車」と「普通車」という案内板が、それぞれ掛けてありました。


ひとつ謎なのが、観光列車のチラシに出ていた、コチラ↑の古い写真。奥に写っている駅舎が、上に現時点での写真を載せた、セントロにある始発駅です。二頭立ての馬車がレールの上を走っているので、最初期の頃は鉄道馬車だったのかと思いましたが、すでに出来上がっている様子の駅舎から判断すると、この写真は1864年以降に撮られたことになります。鉄道の操業開始が1861年ですから、1864年時点では、とっくに列車による運行が行われていたと思うのですが・・・。開業当初は、鉄道馬車による運行も併せて行われていたということなのでしょうか? 観光列車のチラシには、この写真についての説明はなく、謎は深まるばかりです。


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