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セントロの時計、その後 [アスンシオン点描]

「南米パラグアイの首都アスンシオン」と言われても、あまり日本人にとってなじみのある場所ではないため、ピンと来ないという方も多いと思います。しかし、意外なところに接点がありまして、アスンシオン市は日本の千葉市と、長年姉妹都市の関係にあるのです。どういう経緯があってセレクトされたかは不明なものの、アスンシオン市との間に提携が結ばれたのは、今をさかのぼること37年前の1970年1月1日。これは世界に7箇所ある千葉市の姉妹都市の中で、同年同日に姉妹都市となったカナダのノースバンクーバー市と並び最も古く、アスンシオンは千葉市にとって、いちばんお付き合いの長い海外都市だと言うことができます。

                
さて、話はここからが本題です。写真上は1985年1月、姉妹都市提携15周年を記念して、千葉市からアスンシオン市に寄贈され、セントロ(市の中心部)に設置された太陽電池時計と、その支柱部分に据え付けられたプレート(裏はスペイン語表記)です。写真では分からないと思いますが、8:34を差したこの時計、何を隠そう止まっています。今を遡ること1年4ヶ月前の2005年12月末、この止まったままの時計の惨状についてブログに書いたところ(2005/12/27 の記事)、それを読んだ千葉出身のウチの母、何を思ったか私に一言の断りもないまま匿名で千葉市役所に電話をし、「インターネットで偶然見たんですけど、アスンシオンにある千葉市寄贈の時計、何だか止まっているみたいですよ・・・」と、わざとらしいタレ込みをするという暴挙に出ました。

それから3ヶ月が過ぎた2006年3月半ばのこと。2度目のアスンシオン滞在を終えての帰国途中、乗り継ぎのサンパウロの空港で、あの時計のことなどすっかり忘れかけていた私に、運命のイタズラとも言うべき事件?が起きたのです。広い空港内でさんざん迷った挙げ句、ようやくたどり着いた乗り継ぎカウンターには既に先客がいて、そこではスーツ姿の日本人らしき中年男性が、ちょうど手続きを始めたところでした。この男性の後ろで、自分の番が来るのを待っていると、どうも途中で何か予期せぬトラブルが発生したようで、地上係員はひとことふたこと言い残したまま足早にどこかへ消えてしまい、カウンターに置き去りにされたその男性と私は、ただそこにぼんやり立ったまま放置されるハメに・・・。

「どうしよう・・・」といかにも不安そうな様子のこの男性、訊けばやはり日本人で、私と同じルートでこれから日本へ帰るとのこと。「わざわざパラグアイへ、何の用事かな」と思い、「パラグアイへはお仕事でいらしたんですか?」と訊ねたところ、「いや、実は自分は千葉市の職員で・・・」とおっしゃるではないですか。ちょうどその数日前まで、アスンシオンで消防の国際会議が行われており、千葉市の消防関係の部署にお勤めのその男性は、姉妹都市の千葉市代表として国際会議に参加されていたのだというのです。思いもかけず恵まれたこのチャンスを逃す手はないと思い、「そういえばセントロに、千葉市から寄贈された時計がありませんでしたっけ?」としらばっくれて訊ねると、「そうそう。ちょうどアスンシオン行きが決まったとき、国際交流課の担当者がやって来て、『ウチが贈った時計、どうも止まっているみたいだから、写真撮ってきて』って頼まれたんだよ」と一言。もうちょっと色々突っ込んで訊こうとした矢先、やってきた地上係員によって乗継ぎ手続きが再開されたため、残念ながら会話はこれにて終了。その後、無事手続きを終えたこの男性、「あ、役所の若いコたちにお土産買わなきゃいけないんだった・・・」とつぶやきながら、足早に免税店の方へと去って行かれたのでした。(お名前もお伺いしませんでしたが、その後お元気でいらっしゃいますでしょうか・・・?)

そんなことがあってから、すでに1年以上もの月日が過ぎた2007年5月。こうしてまたパラグアイへやって来たわけですが、あれからずっと、私の心の片隅にひっかかっていたのは、「セントロの時計はどうなっただろう?」ということ。真面目で仕事熱心な日本のお役所のことですから、その後きっと何かアクションを起こしたに違いないと思い、パラグアイ到着の翌朝、はやる気持ちを抑えながら、早速セントロへ行ってみたところ・・・。

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ああっ! な、なんと、時計がないっ・・・!! 口あんぐりで言葉も出ない私に、ダンナが一言、「千葉市はすべてなかったことにしようとしている」。だけど、日本語とスペイン語で書かれた「千葉市寄贈」のプレートは依然残ったままですよ? “なかったこと”にしたいなら、このプレートを外さないことには意味ナイですよね?? 台風か何かでもげたのかと思ったものの、支柱の先を見る限りでは、きれいにスパッと外れて(切れて?)いるので、やはりどうも意図的に外したようです。支柱がそのまま残っていることから、時計部分を修理したのち、元通り設置し直すつもりなのではないかと想像しますが、あの“ドロンズ”(古い!)さえも避けて通った“南米の田舎”パラグアイとはいえ、仮にもここは一国の首都ですからねぇ・・・。あの時計では、さすがにちょっと時代遅れな感じが否めません。


なお、写真上は、“千葉市の時計跡”の目と鼻の先のメインストリートに最近設置された、巨大なデジタル時計(気温と交互に表示される)。セントロでは、もう時計は充分間に合っているようですので、千葉市の皆さま、僭越ながら言わせて頂くと、もう時計にこだわる必要は全然ないと思います。


※1985年、千葉市がアスンシオン市に太陽電池時計を贈った際、アスンシオン市からは千葉市動物公園の開園に合わせて、南米原産の鳥“オニオオハシ”が寄贈されたのだとか。写真上は、パラグアイのレストランで飼育されていたオニオオハシ(こんなトロピカルな鳥が、普通に市街地を飛び交っているわけではありません)。なお千葉市動物公園は、二本足で立つレッサーパンダ「風太くん」で一躍有名になった、あの動物園です。


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